マナーエッセイ

礼儀正しい日本人

2005年9月1日

いつ頃から耳にしなくなった言葉だろう。公共の場でのタバコ、ガム、空き缶のポイ捨てなど、「日本人のマナーの低下は目に余る」と酷評の嵐だ。

 

しかし、先日、ちょっと元気になる話を聞いた。カタール国(アラブ諸国:首都ドーハ)の国民は、日常生活で日本車や日本製のコンピュータゲームに接しているため、日本の先端技術に尊敬の念を持ち、また伝統芸術や精神文化の継承にも好意を持ってくれているという。さらに、現地で今でも語りぐさになっていることが…。

 

10数年前、首都ドーハで行われたサッカーW杯・アジア地区予選。日本代表が勝利を目前にしながらイラク戦で引き分けてしまい、W杯初出場を逃したときのことだ。スタンドに詰めかけた日本人サポーター達の、息の合った応援だけでなく、引き分けに終り意気消沈しながらも、試合後の応援席の掃除を忘れないマナーに感激したという。

 

そういえば、日韓共催W杯のときも英国メディアが、「日本人の品行の良さには驚いた!」、「日本人は憎みなき熱狂で、W杯をより豊かなものにしてくれた!」と、絶賛してくれ、また、FIFA(国際サッカー連盟)までもが、「日本チームは試合の内容もさることながら、ロッカールームの使い方もきれいで素晴らしい!」と代表メンバーの紳士ぶりを称えてくれたことを思い出した。

 

「礼儀正しい日本人」は健在だ。その私たち日本人が本来の国民性を大切に保っていくために、改めて考えてみよう…、マナーを。

 

マナーには、三つの基本目的がある。
(1)相手に迷惑をかけないこと
(2)相手によい印象を与える(不快感を与えない)こと
(3)相手への尊敬や思いやりの気持ちを表現すること。

 

すなわち、マナーとは「相手」の立場に立って、気遣い行動することなのだ。

 

しかし、私たちは日頃、ついこう思ってしまうことはないだろうか?仕事中、本当は気付いているのに、「私がしなくても…、そのうち誰かが気付いてするだろう…」と。誰がやってもいいことなら、気付いた人が率先してやる…。もしみんながそういう気持ちを持っているなら、どんなにステキな職場になるであろう。

 

昨日、帰宅途中のバスの中で、ご年配の方に席を譲っているOL風の女性を見かけた。心温まる光景だ。ふと、そのとき思った…、「『お年寄り・身体の不自由な方の優先席』なるものが設置されなくても、皆が気持ちよく譲り合えるような世の中になればいいな」と…。

 

おわり