マナーエッセイ

礼儀の国ニッポン

2011年6月1日

東日本大震災…。今回の地震・津波は、この豊かな国全体に大きな試練を与えた。TVを通し、日々伝えられる被害の深刻さに落胆しつつも、一方ではマスコミの質問に「私たちは被災者じゃない、復興者だ!」と答える避難所の方々の気丈な姿に涙が溢れ、”我々にも何かできることはないか”と、義援金に加え、多くの人が積極的に何かしらの行動を起こした。

 

私の周りでも、ご主人が歯科クリニックを経営している先輩は、震災翌日に必要最小限の数だけ残して大量の歯ブラシと歯磨き粉を被災地に…、カラーセラピストの友人は、在庫のクレヨンと色鉛筆、画用紙などを子どもたちに宛てて送ったそうだ。(…私は送るべき物資を持ち得なかったので、被災者の搬送先病院でO型血液が不足していると聞き、役に立ててもらえるならと献血に出向いた)

 

あの日以来、”誰かのために”という優しさや思いやりが国土全体に広がったように感じられる。 そして、大なり小なり地震の影響を受けた人々の冷静かつ相互尊重の行動は、私たちが日本人のとしての”誇り”を取り戻すきっかけともなった。

 

『物が散乱しているスーパーで、落ちているものを律儀に拾い、そして列に黙って並んでお金を払って買い物をする。運転再開した電車で混んでいるのに妊婦に席を譲るお年寄り。この光景を見て外国人は絶句したようだ。本当だろう、この話。すごいよ日本。』

 

これは、3・11地震発生の3日後、Twitterで投稿された”つぶやき”の一つだ。
こんな不測の事態においても周囲への気配りを優先させながら自制心をもって行動する…。上記のTwitterにもあるように諸外国は驚きの目で見ていたようだが、私は逆に「このような時だからこそ、先人から受け継がれてきた”日本人の美しさ”が形となって表れたのでは」と思った。

 

その昔、江戸文化に興味をもった米国人留学生が書いたレポートの中に”江戸っ子”についての一節があり、次のような内容だという。『江戸っ子とは、金や物より人間を大事にし、差別のない共生の精神で、皆が仲良く暮らせる平和を基本と考えている人のことをいう』…。

 

当時、世界一とも言われるほどの人口密度を誇った江戸において、”共により良く生きる”ため、町民たちが実践していた行為(江戸しぐさ)を見て、青い目の青年はそう感じたのではないかと推測されている。

 

「融合のしぐさ」、「平和のしぐさ」ともいわれる江戸町民の習慣だが、その中でも”往来しぐさ”といわれる身のこなしは代表例として有名だ。 雨や雪の日に道ですれ違うとき、互いに傘を外に向けて傾け、雫がかからないように配慮する『傘かしげ』や、狭い道を行き交うとき、お互いが右肩(右腕)を後ろに引いて胸と胸を合わせるように譲り合う『肩引き・腕引き』。また、乗合舟で後に乗ってきた客人が座れるよう、先客たちが、こぶし分の腰を浮かせて詰め合わせるという『こぶし腰浮かせ』などを指す。

 

震災の日、東京の交通機関がマヒして運転再開を待つ人々が、ホーム階段の端にきちんと座り、行き来する人たちの邪魔にならぬようにと中央部分を空けていたことが中国で話題になったらしいが、私はこれこそ、江戸しぐさの現代版なのではと、本来の日本人の姿を垣間見たように感じた。

 

また、家中で倒れた本棚の下敷きになってしまった老婦人。救出に来た救急隊員に対し、「ご迷惑をかけてしまってごめんなさい。私なんかよりも先に助けてあげなければならない人がいらしたのではないかしら…」と言って詫びたというエピソードが米国のニュースで特集に取り上げられたと聞いた。

 

実は江戸時代、『うかつあやまり』という素敵な習慣があったらしい。自分のうかつ(うっかり・不注意)で人に迷惑をかけたら「ごめんなさい」と謝ることは勿論なのだが、 例えば、人の足を踏んでしまって謝ると同時に、踏まれた側も「とっさに足を避けられなくて私もうかつでした」と、それをしぐさに出して良好な空気感を作っていたという大人の態度。 前述の老婦人の詫び言葉は、救助を優先すべき方々への配慮と、倒れてきた本棚を避けられなかった自分のうかつを恥じる気持ちから出たものなのかもしれない。
美しい日本人としての姿をしっかり受け継いでいきたいものだ。

 

【参考文献】江戸しぐさ 越皮禮子/著

 

おわり