マナーエッセイ

『便利』と上手く共存!!

2005年9月2日

「敬語」についての授業中…。私はA君を指名し、「『何を・・・・しているのですか』を尊敬表現に直してみて!」と言った。(する→なさる)、(いる→いらっしゃる)と散々教えてきたことなので、『何を・・なさって・・・・・・いらっしゃるのですか』と簡単に答えてくれるものと信じていた。…が、A君。なかなか口を開かない。黒板の前で睨む私の目がイライラしてきたのを察したのか、苦し紛れに出た彼の答えは、「何を…、何を…、・・・・・しよらすとです か!」…○▲?×!■◎?…、おそらく彼の地元の方言だろう。ふぅ~っ(苦笑)

 

敬語が身に付かない若者…。もちろん様々な要因があるだろうが、私は彼等の生活環境にも原因の一端があるように思う。すなわち日常生活の中で敬語を使わなければならない場面が本当に少なくなったということだ。

 

例えば昔は電話なんて「一家に一台」が当たり前で、友達に用事があり電話をすると、最初は必ず親が出てくる。そこで、「○○です。こんばんは。花子ちゃんをお願いします。…はい、ありがとうございます。」と、子供ながらも精一杯の敬語を使っていたものだ。

 

それが今は小学生まで携帯電話を持つ時代。

 

「お~、タカシ?…、オレ!、今日さぁ…」

 

と、親(大人)を通さずとも友達との連絡が可能になり、敬語なんて「いつ、使うの?」。

 

私は技術の進歩は肯定していきたい。だが同時に大事なことは、進歩した技術に見合う私達の「使いこなし」だろう。この作られた「便利」が人間としてのマナーを低下させてしまってはいけないのだ。例えば約束の時間に遅れそうな時など、・・・・・・・・いつでもどこでも連絡できる携帯電話はとても便利。しかし、連絡が取れたという安心感で気が緩み、大切な「約束の時間を守る」という意識が少しずつ薄れてはいないだろうか。相手に電話を・・・する前、そして・・・した後に自分自身がどれだけ間に合わせるための努力をしたかが一番大事だ。

 

デジタル、IT、便利な時代。

 

日常生活やビジネス社会における小さな変化の積み重ねが、本来の人間らしさを無くしてしまうことのないよう…。

 

私達は、これからも様々な「便利」の中で生きていくが、これは決して若者だけの問題ではなく、社会生活を営む者全てが持つべき課題なのかもしれない…と感じるのは私だけ?!

 

おわり